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小説を書くように〜取材の進め方

2010 年 3 月 4 日 木曜日

ノンフィクションを書こうと決め、実際に取材をしようと考えた時、最初、どう動いて良いのか解らなかった。取材といっても、何を調べるのか、取っ掛かりがなかったのだ。

教科書には、とにかく現場に行くこと、と書かれてある。不親切極まりない(苦笑)

ただ、何とか取っ掛かりらしきものを見出した今になって思うと、とにかく現場に行くこと、というのは、実に的を射ていると思えるのだ。
(いや、でも取っ掛かりは必要だろう…)

動けないまま時間が過ぎ、何とか俺が見つけた取っ掛かりとは、「小説」だった。詳しく述べよう。今さらではあるが、俺はノンフィクションの作品を一冊きちんと読み通したことがない。言わば、ノンフィクションの作品の完成形を知らないのだ。言うまでもなく、知らないものはイメージできない。

そんな時考えたのが、「小説」なら解る、ということだった(ダテに小説を書いてない)。書こうとする作品の、完成形がイメージできることは、これは大きなことだった。例えば夢でも、それをイメージすることで、その時にやるべき道筋が見えてくる。それと同じだったのだ。

まるで小説を書くように。俺は、作品の完成形を「小説」でイメージして初めて、時々の取材に、道筋を付けることができたのだ。

以前、取材に取材を重ねて書かれる司馬遼太郎の小説を、ノンフィクションと対比させたことがあったが、俺の作品も、もしかしたら、小説めいたものになるのかもしれない。実際、その方が良いのかも、とも思っている。

まあそれ以前に、ノンフィクション作品をもっと読めという話だけどね…(笑)

ノンフィクションと司馬遼太郎

2009 年 12 月 14 日 月曜日

坂の上の雲

ノンフィクションを書くという時、俺の頭にイメージとしてまず浮かぶのが、司馬遼太郎の文章だ。俺は現在、「坂の上の雲」を読んでいるが、その時代の日本を描くのに、司馬遼太郎は、秋山好古・真之の兄弟と、正岡子規という3人の人物を追うことで、表現しようとしている。

少し話は逸れるが、司馬遼太郎の小説というのは、ものすごい量の資料と取材をもとに書かれている。司馬遼太郎の小説を、「あれは小説なのか」と見る向きもあるが、そんなことからも、司馬遼太郎の小説は、ノンフィクションに近いのではないかと俺は見ている。

さて。ノンフィクションを書く時、司馬遼太郎に倣うなら、「主人公」を立てるのは、一つの書き方ではないかと思った。

これは普段から司馬遼太郎を読んでいる(正確にはその仕事に魅かれている)俺ならではの見解かもしれないが、これから書こうとしている、現在取材中のノンフィクションを考える際、この書き方で書きたいと思うのだ。

司馬遼太郎には、俺自身ブランクがあり、一時期全く読めなかった、否、受け付けなかったのだが、この度、「坂の上の雲」(3度目の挑戦)で読めるようになってから、改めてその仕事を見直すに至った。

司馬遼太郎は、これからも読み続けていくつもりだが(全てを読むつもり)、多少傾倒し過ぎだと言われても、俺がノンフィクションとして書いて行きたいものは、ああいうものだという感覚が確かにある。

司馬遼太郎は、俺のノンフィクションには欠かせない、「お手本」的な存在なのである。