ノンフィクションにおける「天才」の使命

かつて吉行淳之介は、身近に殺人者がいたり、妹が娼婦をしていたりする書き手のことを、逆説的に「サラブレッド」と呼んだという。

「原体験」というのかな、ノンフィクションを書き続けるには、自分の中に、書き続ける「理由」が必要だと教科書にも書かれている。

「理由」を前提とするモチベーションの維持は、正直非常に難しい。誰もが「サラブレッド」でない限り、「理由」は自分で見出したものでなければならないし、それが弱いものだと、取材を続けるモチベーションが維持できなくなる。

今、神戸の震災を取材していて、その遅々とした進み具合に、俺は何度も原点の「理由」に立ち返ってみる。そんなに弱いものではないはずなのだが…。

何が言いたいか。

最近「サラブレッド」の人が、どんどん前に進むのを見ていて驚いた。モチベーションのその強さに。そして思った。「使命」というものは、本当にあるものだな、と。

昨日の話ではないが、「サラブレッド」の人は実に盲目に見える。一途だと言えば聞こえは良いが、その行動は、方向転換が不可能で、その強いモチベーションゆえに、悩むことも知らない。これはもう、何かに憑かれているようであり、まさに「使命」だろう。

要するに諸刃の剣なのだ。吉行淳之介が呼んだ「サラブレッド」たちは、自らのモチベーションという、環境の産物から抜け出すことができず、でも一方で、「成功」を手にする。

一人の悩める人間でありたい。

そう願った時、俺は、「サラブレッド」でなくて良かったと思える。ノンフィクションの外のことまで言ってみれば、それは「天才」でないということなのかもしれない。

最後に、俺の好きなこの言葉を挙げて、この文章の締めとしよう。

「一芸に秀でた者に人格者は少ない」(吉本隆明)



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