ようやっと雑誌ライター

雑誌の仕事をやることになった。今まで、新聞記事などは書くことがあっても、いわゆる雑誌ライター的なことはしたことがなかった。俺の専門は、基本ノンフィクション。自分一人でコツコツと取材を続けるというものだ。売れっ子になれば、雑誌の仕事もあるだろうが、俺はまだ「作品」を仕上げていない。

今回も別に、特に大したことをしたワケではない。企画を持って売り込んだワケでもないし。

「溜め」が出た感じ?これまで結果もないのに一人黙々と努力してきて、正確には7年の歳月、「不遇」の時代を過ごしてきて、それでもその時にできることを一生懸命「諦めずに」続けてきて、ここにきてコップの水が溢れた感じ。

具体的には某NPOでの書籍編集の仕事に、「ライター」として関わることになったのだが、大した実績もない、ソフトも使えない俺が、その前に営業に来たという、実績バリバリの雑誌ライターさん(3人!)が得られなかった仕事を得ることができたのは、ひとえにこれまでの、子どもに関する活動が評価されてのこと。

実に俺らしい…(笑)

世に雑誌ライターはごまんといるが、明確に意図してその仕事を得るのは、それほど難しいことだということを知って欲しい。

もちろん成り行きで、気が付いたら、という人もいるだろう。(実際はコチラの方が多いと思う)。しかし、「仕事」として言わせてもらうなら、「成り行き」は盲目だ。それで成功しても、誰でもないその人本人にとって、なんら意味を成さない。それでは「幸せ」になれない。

とても大切なことに踏み込んでいるね。だけど俺は、これ以上は語らない。それは全ての人が、一歩一歩悩みながら人生を生きる中で、自分なりの考えを見出していく「義務」であるから。そして、その先に「幸せ」はあると俺は信じる。



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