ノンフィクションを書こうと決め、実際に取材をしようと考えた時、最初、どう動いて良いのか解らなかった。取材といっても、何を調べるのか、取っ掛かりがなかったのだ。
教科書には、とにかく現場に行くこと、と書かれてある。不親切極まりない(苦笑)
ただ、何とか取っ掛かりらしきものを見出した今になって思うと、とにかく現場に行くこと、というのは、実に的を射ていると思えるのだ。
(いや、でも取っ掛かりは必要だろう…)
動けないまま時間が過ぎ、何とか俺が見つけた取っ掛かりとは、「小説」だった。詳しく述べよう。今さらではあるが、俺はノンフィクションの作品を一冊きちんと読み通したことがない。言わば、ノンフィクションの作品の完成形を知らないのだ。言うまでもなく、知らないものはイメージできない。
そんな時考えたのが、「小説」なら解る、ということだった(ダテに小説を書いてない)。書こうとする作品の、完成形がイメージできることは、これは大きなことだった。例えば夢でも、それをイメージすることで、その時にやるべき道筋が見えてくる。それと同じだったのだ。
まるで小説を書くように。俺は、作品の完成形を「小説」でイメージして初めて、時々の取材に、道筋を付けることができたのだ。
以前、取材に取材を重ねて書かれる司馬遼太郎の小説を、ノンフィクションと対比させたことがあったが、俺の作品も、もしかしたら、小説めいたものになるのかもしれない。実際、その方が良いのかも、とも思っている。
まあそれ以前に、ノンフィクション作品をもっと読めという話だけどね…(笑)
タグ: 司馬遼太郎




