社会を変える希望、NPO

今日は、ひと・まち交流館京都で、NPO関連の資料を物色(笑)していたのだが、そこで俺は、改めて、NPOというものの可能性を思った。

余談だが、「思う」という漢字は、大和ことばがどうので、司馬遼太郎は決してこれを使わずに、「おもう」と書いたという(ホントに余談…笑)。

話は戻って、NPOと一概に言っても、日本ではその範囲が広く、自分で名乗ってしまえば、というところも実際ある。

この正月、久しぶりに旧友と会った時にも、「NPOって何なんや」と訝しまれた。その友人は、仕事で、NPOを名乗る団体から騙されていたのだった。普段NPOと関わる機会がないだけに、知らないからなおさら、「何なんや」ということになる。

確かにこういった側面も、否定できない事実としてNPOにはあるワケで、全てが全てすばらしい活動をしているわけではないかもしれないが、ただ一つ、一つでいいから「本当のNPO」というものを見て欲しい。こんなに純粋なものはないから。

公があって企業があってNPOがある。ゆえにNPOは第3セクターと呼ばれる。第3セクターの役割などは、俺もまだまだ勉強しないといけないが、こういったすばらしい活動が、全国に散らばっているのは確かであり、そこに一つの「希望」が見えないだろうか。

俺自身は、こうした希望のタネが散らばっているのは、非常に惜しいと思うので、これらを繋ぐネットワークを作ろうと、以前フリーペーパーを企画した。そしてその思いは、今も変わらずここにある。

結局俺は、そうしたNPOの繋がりに、ある可能性を見ているのだと思う。社会を変える、という可能性を。



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