2010 年 1 月 のアーカイブ

[カフェ発掘]とっても素敵なお店、日杳(ひより)

2010 年 1 月 29 日 金曜日

カフェ日杳

木の香りがした。叡山電鉄茶山駅から歩いて五分のところにあるこの店は、以前リヒトアルトの山口さんに紹介された、「左京区デ読書」の会場として案内されていた時に目を付けた、「お気に入り」だった。

狭いな、と思った。イベントの会場となるくらいだから、住宅街にあってもそれなりの空間を予測していたのだ。けど、座ってみると、居心地は良かった。テーブルも大きく、返ってゆったりと感じられたものだった。

平日の夕暮れ時、お客は俺一人だけ。店員さんは、二人。応対してくれたのは、少し人見知りする感じの、でも慣れてくるととても穏やかで温かい、女の人だった。

出されたお茶(お水ではない)の横に、小さな冊子が一冊。どうやらこれがメニューらしいと遅れて気づき、ジャバラ式のそのメニューを広げる。決して数は多くない。一通り見て、目に付いたのがカレー。今からでも出せますよと言ってくれたが、ここは閉店間近、お腹も減っていなかったので、オーソドックスにホットコーヒー…ん?アイスは無かったかも、を頼む。

出てきたコーヒーは、味がしっかりしていて量もある。これでお腹いっぱい(笑)添えられたクッキーは、どこか昔懐かしい味。そう言えば、先に飲んだあのお茶も…。

店は、空間としては本当に狭かったが、どこかアンティーク調(?)そう言えば、この店員さんは、造形大出身だとか。うーん、なるほど。所狭しと立てられている雑誌も、芸術関係のものばかり。おっと、絵本もあった。

常連になってやる、店を出てそう思った。良い店と出会った。これからが楽しみだ…(笑)

↑せっかくいい店を見つけたと思ったら、この本に載ってた…(汗)

それでも俺は、自分の文体が持ちたい

2010 年 1 月 28 日 木曜日

典型的な文体を持つのは、例えば江國香織、英語を話せる人間の典型的な日本語だよね、彼女の小説は。

最近読んだ、寺島実郎の文章は、それこそ異質で、それは恐らく、寺島実郎が数カ国のことばを扱えるからのものだと思うのだが、そこから俺は、文体というものを思った。

今書いている、俺の、自分自身の文章を、自ら客観的に判断することは難しいが、俺も、物を書く人間である以上、独自の文体を持ちたいと、そう思ったものである。

それにしても、俺はズボラだから、外国語を身に付けることはないだろうし、だとすれば、日本人独特の「文体」を持ちたいと思うのである。

日本人独特と言えば、一番に思い浮かぶのが、司馬遼太郎の文章だが、もしかするとアレは、文体ではないのかもしれないという杞憂から、俺は、小林秀雄の文章を思い起こすのだ。

読む人のことを考えて書かれた(少なくとも本人はそう言っている)小林秀雄の文章は、難解に感じつつも、何か、絡み付くような魅力がある。

自分独自の文体を持ちたいなどと、ライターにあるまじき考えを持つのも、また、一つの「贅沢」かな、と思うのである…(笑)

社会を変える希望、NPO

2010 年 1 月 25 日 月曜日

今日は、ひと・まち交流館京都で、NPO関連の資料を物色(笑)していたのだが、そこで俺は、改めて、NPOというものの可能性を思った。

余談だが、「思う」という漢字は、大和ことばがどうので、司馬遼太郎は決してこれを使わずに、「おもう」と書いたという(ホントに余談…笑)。

話は戻って、NPOと一概に言っても、日本ではその範囲が広く、自分で名乗ってしまえば、というところも実際ある。

この正月、久しぶりに旧友と会った時にも、「NPOって何なんや」と訝しまれた。その友人は、仕事で、NPOを名乗る団体から騙されていたのだった。普段NPOと関わる機会がないだけに、知らないからなおさら、「何なんや」ということになる。

確かにこういった側面も、否定できない事実としてNPOにはあるワケで、全てが全てすばらしい活動をしているわけではないかもしれないが、ただ一つ、一つでいいから「本当のNPO」というものを見て欲しい。こんなに純粋なものはないから。

公があって企業があってNPOがある。ゆえにNPOは第3セクターと呼ばれる。第3セクターの役割などは、俺もまだまだ勉強しないといけないが、こういったすばらしい活動が、全国に散らばっているのは確かであり、そこに一つの「希望」が見えないだろうか。

俺自身は、こうした希望のタネが散らばっているのは、非常に惜しいと思うので、これらを繋ぐネットワークを作ろうと、以前フリーペーパーを企画した。そしてその思いは、今も変わらずここにある。

結局俺は、そうしたNPOの繋がりに、ある可能性を見ているのだと思う。社会を変える、という可能性を。

寺島実郎、「世界を知る力」を読んだ

2010 年 1 月 23 日 土曜日

世界を知る力

寺島実郎を評価するのは難しい。その容貌を見ただけでも、十分に、「ひとかどの人物」であり、さらに、この「世界を知る力」で示した見識の広さ、深さは、それを証明するのに十分だとさえ言える。

一点。たった一点腑に落ちないところがある。それは、世界を知る力というタイトルの本の中で、インターネットの進化をちゃんと評価していないところだ。

ご存じの通り、インターネットは、数年前に「ウェブ進化論」が書かれ、Web2.0に入ってから、そのコミュニケーション性をますます高め、現在のTwitterへと進化してきた。

俺が残念だと思うのは、歴史は一度進んでしまえば、もう後戻りできないということだ。

少し前に、養老孟司は、雑誌「考える人」の中で、インターネットについて、「インターネット上にあるものは、全て過去のものだということを認識する必要がある」という意味のことを書いて、インターネットを評価していて感心したものだった。

しかし寺島実郎は、何も書かない。漏れているかもしれないが、この本以外のところでも、書いているのを見たことがない。

ところで先の養老孟司のインターネット評は、中々に見事で、Web2.0に代表される、コミュニケーション性を敢えて無視しながら、インターネットの真実だけを簡潔に述べている。今、多少なりとも世の中を語ろうとするものは、最低限、こうしてちゃんとインターネットを否定しておくことが必須なのである。

寺島実郎「世界を知る力」は、論客寺島実郎の見識を示し、読者に有益な情報、ものの見方を伝えるという点では非常に優れた書籍だろう。読む価値は十分にあると言える。

ただ、著者寺島実郎に関して言えば、やはりあと一歩足りないというのが俺の評価である…(笑)

今月号の中央公論に、養老孟司寄稿

2010 年 1 月 22 日 金曜日

中央公論2月号

「東大は賞を出すほうだ。もらうほうじゃない!」。かつて京大出身の利根川進氏が、ノーベル賞を受賞した時、また京大出身の研究者がノーベル賞を取りました、との電話に対して、養老孟司はこう言って電話を叩き切ったという。

今月号の中央公論は、「大学の敗北」という特集をやっており、その中(巻頭)に、養老孟司の文章が掲載されている。

養老孟司と言えば、数年前、新潮新書が創刊された際に出された「バカの壁」の大ヒットを思い出す人も多いと思うが、このようなベストセラーを持っている割には、その著書は決して多くはない(目に付くものが少ない、と言ったほうが良いか)。

しかし、今回の中央公論での扱いを見ても、決して無視はできない(注目すべき)論客だと俺は見ている。

今回の「大学の敗北」(冒頭)にしても、どこかで書かれていたインターネット論にしても、さすがに齢70を越えているだけあって、非常に深く考察された言葉を書かれる方だと思う。加えて、ユーモア(毒舌)もある。

養老孟司には、不勉強な編集者を「勉強しなおしてこい」と叱りつけたエピソードもあり、取材対象としては、決して良い人物とは言えないが(苦笑)、俺のように、養老孟司の文章が載っているからという理由で、今月号の中央公論を買った人は案外多いのではないだろうか。

いずれにしても、貴重な「ご意見番」なのである…(笑)

俺が追うノンフィクション、ホッとアートプレゼント事業

2010 年 1 月 21 日 木曜日

ううっ…風邪を引いてしんどい…(苦笑)

昨日、1月20日(水)、舞鶴医療センターにおいて、とある催しが開催された。ホッとアートプレゼント。その事業の名前。

この事業の京都での主催、NPO法人京都子どもセンターは、俺が昨年出合った、数多くの団体の中の1つだ。そして、この、ホッとアートプレゼント事業こそ、現在俺がノンフィクションとして追っているものであるワケ。

事業内容は、小児科病棟に入院している子どもたちに、プロのパフォーマンスを届けようというもので、昨年全国8ヶ所、今年は全国20ヶ所で実施され、この、京都での公演が、2009年度の最終公演だった。

俺がこの事業に出合ったいきさつは、出なくてもいい会議に顔を出した(笑)ところ、それが、この事業の最初の最初、京都府での事業受け入れ先が京都子どもセンターに決定する会議だったのだ。

しかも、その決まり方がとても素晴らしく、慈善活動と言うのかな、まさに、見返りを期待しない、純粋に子どもたちのために、と、決まった瞬間に俺は感動してしまった(笑)これを是非まとまった文章にしたいと、その場で事業に関わらせてもらえるようお願いした次第だ。それが昨年8月のこと。

そしてそして本番が昨日。風邪も治りかけていたので(入院している子どもたちは、免疫力が低下しており、基本健康な人でないと病棟には入れない)、5日前から付けていた健康チェック表を見てもらい、何とか参加できたワケ。

そして無理した分今になって…(苦笑)

さあ。本番当日を終えて、今日も少し考えていたのだが、俺にとっては「これから」が本番なので、まずはじっくり構想を練りたい。その上で取材をし、1つまとまった文章に仕立てたい。

一体自分にどこまでできるのか、初めてのことでもありまだまだ不安も多いところだが、「これから」頑張ってやりたいと思っている。

ライター、編集プロダクションへの営業

2010 年 1 月 19 日 火曜日

今日、初めて編集プロダクションというものに、営業に行った。編集プロダクション、いわゆる編プロへの営業は、とある雑誌に営業に行った時に、そこのデスクさんに勧められた方法だ。仕事ももらえるかもしれないし、アルバイトで潜り込めば、いい勉強になるから、と。

編集プロダクションは、数がある。ネットで少し検索しただけでも、地方にも関わらず、かなりの数ヒットする。昔、聞いたところによると、編集プロダクションは、関西圏だけで200から300あるということだ。

調べないワケないでしょ(笑)

しかし、だ。今日営業に行って学んだこと。立場的にはライターと競合するものなんだ、編集プロダクションって。どうしても人手が足りない時に、たまに外部のライターを使うことはあるけれども、基本は社内で仕事をこなそうとする。仕事を得るつもりなら、営業に行く価値はほとんどないと言えるだろう。もしあなたに、何か決定的な専門分野でもあれば別だけど…。

編集プロダクションの仕事は、出版社や雑誌に営業して仕事をもらうことからも、基本的にライターと同じだと思っていい。そして、そのことから言うと、編集プロダクションにアルバイトとして入るというのは、ライターの経験を積めるワケで、意味のあることだと言える。

まあ、何やかんや言っても、ライターの営業先としては不適切なワケで、むしろ数が多い分、ライターにとっては競合が多いということ。また墓穴を掘ってしまった…(汗)

ということで、俺はまた企画の売り込みに専念する。それが唯一の方法だと解ったから…(笑)

震災15年目の神戸の地で、思ったこと、考えたこと

2010 年 1 月 18 日 月曜日

震災15年

15年目の1.17。今回も俺は夕方の黙祷に参加した。さすがに今年は皆早朝に集まって、夕方は数少ないものだと思っていたが、5時46分が近づくにつれ、人が集まる集まる(笑)

実は風邪を引いてしまい、近く小児病棟での取材が控えていることからも長引かせるわけにはいかず、朝の黙祷は遠慮した(言いわけ…笑)。

ボランティアによる”炊き出し”などのテント群は、例年通りに並び、ご苦労なことだと思ったが、テントごとに置かれている「募金箱」を見て、少し複雑な気分になった。

一体だれに寄付するのだろう…。

いや、それはもちろん、ここでボランティアを行っている団体(?)に対してだろう。少し尋ねてみたところでは、毎年のボランティアは、同じメンバーで行われているということだったし(当たり前か)。

どうもここのところが引っかかる。ダテにNPOなんかやっているせいだろうか。寄付イコール収入という現実が頭から離れない。しかしここは、炊き出しをいただいたことで納得。意外と単純なんだ(笑)

ところでこの1.17、震災の日、この東遊園地周辺も、俄ににぎやかになる。普段は目にしない(だろう)露店や路上ライブが、人の集まるこの日を狙って(笑)行われるのだ。先の募金にしても、これらの活動にしても、震災をきっかけに街が活性化する”いいもの”に違いないのだが、解ってはいても、こういう機会にお金が動くというのは、何か哀しい気分がした。

今年はもっと、もっと神戸を訪れないと。率直にそう思った。現地に行って初めて感じる思いがあり、行動がある。「現場100回」は、警察だけのものではない。取材に取材を重ねる、ノンフィクションライターにも十分に当てはまる言葉だ。とにかく現場に行かないと。全てはそこから始まるのだ。

今年は現地で感じることが多かった。スターバックスがコーヒーを配っていたしね(関係ない)。ノンフィクション阪神・淡路大震災、頑張っていきたい。

ほんっとにいいの、グーグルで??

2010 年 1 月 16 日 土曜日

今、少し焦ってる。少なくとも今年中には(遅すぎるか?)俺はアップルを離れなければならない。今、健全な企業は、明らかにマイクロソフト、ヤフーだ。なるべく早く移行を完了しなくては…(笑)

IT業界は、流れが速いから大変だね。俺は今年、アイフォンと、マックを辞めなければならない。もちろんこういうのは人それぞれだ。別に、他人に押し付けるつもりもない(当たり前だ)。ただ、俺は、自分の使っているものには責任を持ちたいと思う、それだけだ。

幸いウィンドウズ7は中々評判がいいし、携帯も、ソフトバンクで東芝製のものが、今ちょうど格安で売っている。あとはお金の問題(笑)

今回、何故こんなことを書くのかと言うと、見てる人は見てるぞということ。ファッションでもそうでしょ、持っているものにはその人の価値観、人生観が現れる。

しかし、だ。ことITに関しては、人は驚くほどに無頓着だ。便利なら何でもいい、のか?どうも勝間和代のような(また出た)、「何でもアリ」な人が多くて困る。メール1つ取っても、グーグルなのかヤフーなのか、見ている人は見ているものだ。

便利なら何でもいい…あー怖い!(笑)

そんなワケで皆さん、もっと自分の使っているものに意識的になりましょう!今日はそれが言いたかった。それでは、また…(笑)

阪神・淡路大震災、15年目を目前にして

2010 年 1 月 15 日 金曜日

明後日、1月17日、いよいよその日を迎える。阪神・淡路大震災15年目の1月17日。

特別にこの震災に思い入れ(関わり)でもない限り、「あ、もう15年か」、その程度の認識しか持たないのが一般的な人というものだろう。

15年という年月は、長いようでいて、短いようでもあった。阪神・淡路大震災は、ずっと、俺の人生に影を落としてきた。あの震災を境にして、どれだけ俺の人生が変わってしまっただろうか。

しかし、だ。そろそろケリをつけないといけない。いつまでも過去に捕らわれて、前を向いて歩き出せないのは不幸なことだからだ。

でも、だ。同時に俺は見つめ続けなければならない。過去とは言えそれはかけがえのない俺の人生そのものだからだ。

阪神・淡路大震災に対する、こうした俺のこだわりが、ノンフィクションライターとしての俺のテーマになるのは容易なことだった。だから俺は追い続ける、震災の復興と、俺自身の復興を、重ねて見つめながら。

いかんいかん、つい…(汗)

例年の通り、俺は今年も神戸に行く。今年は朝の黙祷にも参加したいので、できれば前日(明日)から神戸入りしたいところだ。

まだ、これから下調べだが、何かを得て帰ってきたいものだと思う。また、レポートする。