‘C型肝炎’ カテゴリーのアーカイブ

現代の肖像、福田衣里子

2009 年 7 月 6 日 月曜日

[現代の肖像、福田衣里子

今日発売の週刊誌、AERAから。

It’s now or never、今しかない。
最初の著作の題名にも使われたこの言葉を、福田衣里子は、ことあるごとに手帳に書き付けてきたという。

福田がおそらく一番初めにこの思いを抱いたであろう、C型肝炎で死ぬかもしれないと分かった時の気持ち。その思いを俺は、精神病の宣告を受けた時の自分の気持ちと重ねて読んだ。

字数制限のためか、非常にまとまりのない記事だが、ところどころに垣間見える、これまで書かれてこなかったであろうエピソードが、福田衣里子をより身近に感じさせる。

福田衣里子のブログ

是非見てみて欲しい。「筆まめ」ほどではないが、定期的に彼女の思いが綴られている。最近は政治関係での移動が多いらしい。

とにかく、C型肝炎は彼女抜きには語れない、と思う。
著書もいくつかあるので、興味のある人は是非。

福田衣里子さんの新刊と、ノンフィクション「C型肝炎」

2009 年 2 月 26 日 木曜日

がんばらんと!

 導かれるように行った本屋で求めていた本に出合う。非常に幸せな経験だと思う。

 福田衣里子さんの著書は、2006年に刊行された「It’s now or never」が、つい最近刷新されていた。まさか、まさかの新刊本である。ノンフィクション「C型肝炎」は、この様に、まだ福田衣里子さん周辺しか情報収集が進んでいないが、ゆっくりとしたペースで「三国志」が進む中、自分の最も興味のあるところから情報が集まって来るのは、理に適ったことだと思う。

 最近よく考えるのは、仕事毎にサイトを残して行けたらということだ。一生懸命調べて、繋がったネットワークというものは、後々必ず他の人の役に立つ。

 サイトについて俺が思うのは、ブログという形態が非常に優れているということ。記事の更新の簡易さはもちろん、各関連団体との「繋がりの容易さ」も、その特長だと考える。そのためには、こちらも「実名」での運営が必須だが。

 そう。こと仕事のサイトに関しては、匿名での「遊び」じゃない、実名を介した「対現実」の関係づくりが当たり前となる。よって俺も、実名を出してのサイト運営となるのだ。

 そこで問題となるのが、それらのサイトとこの「いちごjam」の関係。このサイトはできれば匿名のままで通したいのだが…。

 最後になったが、「がんばらんと!」は、ノンフィクション「C型肝炎」に対する俺のモチベーションを高めるのに十分だった。このテーマだけ特別、というワケではないのだが、正直まだまだ時間は掛かる。それでもこのテーマの主人公に、福田衣里子さんを注目することは変わらないだろう。その意味でも今回の「出合い」は、必然だった様だ。

[C型肝炎]勝者が造る歴史

2009 年 1 月 27 日 火曜日

 呂布と陳宮が死んだ。吉川三国志、第二巻も中盤である。勝てば官軍歴史は勝者が造ります、とは、あるマンガの中に出てくる言葉。思えば陳宮の考えというものは、今の俺に一番近かったのではないか。

 戦とは運だ。今隆盛を誇っていても、曹操が偽物であることに間違いはない。今ここに朽ち果てようとも、私は(曹操を見限ったことを)決して後悔しない。

 曹操に捕らえられ、法廷(?)にかけられる中、この様なことを陳宮は言う。そして自ら死刑台へ…。

 先に書いた言葉の通り、歴史とは常に「勝者」が造って来たものだ。だがしかし、戦いに於いていつも勝った方(勝者)が正しいということはなく、そこは常に「戦は運」だろう。

 最近書店に、「起きていることはすべて正しい」といった本が並んでいるのを目にする。その度に俺は、果してそうだろうかと思う。この本の中身は知らない。ただ、そう思うのだ。

 何が正しいかって本当に難しいよね。ただ、先のマンガが、「生きること」を一つの真実として答えていることには何となく賛成できる。「歴史」を読んでいると様々な思いが巡る。三国志を読むことには大きな意味があった様だ。カテゴリー「C型肝炎」、まだまだやれそうだ(笑)。

[C型肝炎]歴史観の確立

2009 年 1 月 9 日 金曜日

 歴史小説を書いてみたい。今、日々吉川英治の三国志を読みながら、そんなことを想像している。言うまでもなくこういった「歴史小説」は、書く人の歴史観、人物観などが大きく反映されるものだ。「吉川三国志」に、実は俺は満足していない。

 歴史小説と言えば、俺はこれまでに、「竜馬がゆく」などを読んだが、「司馬史観」で有名な司馬遼太郎のそれにも俺は満足していない。こと司馬遼太郎で言えば、有名な「坂の上の雲」も読もうと試みたが、俺の考えにはどうしても受け付けず、第一巻の半分も読めなかった。

 「歴史小説を書く」ということは、自分の歴史観を示すことであり、そのためには歴史を一から組み立て直す、といった作業が必要になる。実はこれは、俺が思うに「本当に歴史を学ぶ」ということであり、歴史小説家が、確固たる歴史観を確立する理由でもある。司馬遼太郎の「司馬史観」が、あれだけの影響力を持ち得たのも、決して不思議なことではない。彼は歴史の「王道」を行っていたのだから。

 そこで浮かぶのは、ノンフィクションを書く、と言っても、そうした「歴史観の確立」を前提とする俺のようなやり方の場合、それが「歴史物語」というフィクションに化けてしまう可能性もあるわけだ(笑)。そう考えると、何やら面白いことになってきたなあと、一人ニヤけるのである。

 まあ、そういうことは冗談としても、これから長く文筆の道を歩くに当たって、色々な可能性が見え出したことは確かだ。自分が一体何をやりたいのか、根本的なところが、やはり大事なんだと思った。

[C型肝炎]昭和史を読み始めた

2009 年 1 月 7 日 水曜日

 昭和史を読み始めた。漸く、今この現在へと繋がる歴史を見て行くことになる。C型肝炎問題の背景となる歴史だ。これに、三国志などで得た歴史の知恵をもって「C型肝炎」を見ることで、その輪郭が浮かび上がってくると信じる。

 三国志は既に第二巻に入った。「義」を重んじる吉川三国志を終えた時、一体俺は何を思うのか。物語は着実に進んで行く。

 福田衣里子さんは、相変わらず活発に活動されている。以前読んだ「対談本」では、C型肝炎問題に対して、少し情報不足かもしれない。追々、情報を求めて行きたい。

 昭和史を読む。第一の正念場かもしれない。

[C型肝炎]半藤一利の「幕末史」

2008 年 12 月 24 日 水曜日

幕末史

 この度、半藤一利氏の「昭和史」に続く続編、「幕末史」が刊行された。俺は早速買ってきたのだが、そもそも「幕末」は興味はあってもここまで読む時間は取れないかもしれない、そんなことを考えつつの購入だった。

 今、カテゴリ「C型肝炎」の企画で「昭和史を読む」というのは、第二次世界大戦を含むその歴史期間が、現代を知るのに必要不可欠だと考えるから読むのであり、その点「幕末」は、少し歴史を遡り過ぎている感がある。

 俗に言う「歴史は繰り返す」ではないが、今という時代を歴史上のどの時点かと比較して述べるということは、常々行われてきたことである。

 現代を見て幕末を思う。素人の俺なんかからすれば、それはこういうことになる。幕末のように一つの時代が終わりを迎えようとしている、そんなことはもうずいぶんと前から言われてきたことだ。つい最近五木寛之の「人間の覚悟」という本を読んだが、もうそんなところまできてしまった、という感じは、普段の生活の中で普通に感じられる。

 まあ、何やかんやと言っても「幕末史」が欲しかったのであるが、今読んでいる「三国志」にしても、時が熟した時に描かれる歴史を知ることは、こんな時代だからこそ重要なことに思える。何とか手を回して読みたいものだなあ…などと考えている次第である。

[C型肝炎]次は「史記」が定石か

2008 年 12 月 15 日 月曜日

 只今「三国志」200ページを過ぎたところである。非常に遅々とした進み具合ではあるが、毎日少しずつ進んでいる。

 それにしても壮大な物語だ。以前、三国志に関しては全く無知だと書いたが、実はそのゲームだけは少しかじっており、武将の名前だけは見覚えがあるものもあるのだが、例えばつい最近物語の中で登場した曹操などは、俺が思うに三国志の中心的人物だろう。そんな人物が、物語上まだ「若い」のだから、そのことだけを取ってもこれから続く物語の深遠さを思わされる。

 さて。俺が読む「新装版」の三国志は全5巻だが、いったいそれだけの分量で物語が終わるのだろうかと気をもみつつも、この「三国志」の次に読む書物を検討しているのであるが、ここはやはり定番である「史記」を読むべきではないかと考えている。

 そういった書物を読むのには実は2通りの法がある。今回の三国志は、いわゆる「流れ」で吉川英治の講談社文庫のものを読んではいるが、こういった古い書物は、やはり岩波文庫で読むのが「定石」かと思う。「三国志」は確認していないが、岩波文庫にはそういった著名な書物が名を連ねる。そういったことからも、「史記」は是非岩波文庫のものを、と思うのだがはてさてどうだろうか。

 …なんてことを書きつつも、「C型肝炎」と銘打ったこのカテゴリを、どう終わりへと導けば良いものか、といささかの不安も覚えているのである(笑)。

[C型肝炎]レポート用紙という「道具」

2008 年 12 月 5 日 金曜日

レポート用紙

 ええっと、「昭和史」がまだ手つかずの上、三国志も一気には進まないので、少々赴きを変えた話を。道具の話をしよう。

 少し前にFILOFAXの手帳の記事を書いたが、手帳というものは俺にとって「夢(野望)」を管理するツールであり、通常日々のことを記す道具としては、例えば「ほぼ日手帳」のような軽いものを使ったりする。もちろん日々溜まって行く「記録」の中で重要なものは、FILOFAXのようなメインの「手帳」に淘汰されるのであるが。

 さて。これも最近の記事で、俺はパソコン上で文章を書けなくなったというものを書いた。で、普段使いで利用する(例えば今書いている文章など)ものとして、俺は、ファミリーマートで売っている(便利!)無印良品のB5判レポート用紙を愛用している。

 少し前に、「情報は1冊のノートにまとめなさい」という本が流行したが、俺はそのための道具を迷った末にこのレポート用紙に行き着いた。小説からブログの記事から家計簿的なもの考えのまとめなど、全てこのレポート用紙に書き留めている。ノートは綴じられているので、後々の管理に便利だが、綴じられているゆえの「書きにくさ」が盲点である。1枚1枚独立しているレポート用紙の書き味はすこぶる良い。

 書くのはシャープペンシル。鉛筆の芯の書き味が良い。消しゴムで消せるしね。俺はまだ本格的な取材の経験は無いが、恐らく取材でもこのレポート用紙を使うだろうと思う。1枚1枚ちぎれるというのは、メモ帳にも似た使い方もできる。ノンフィクションの仕事の情報管理に「山根式袋ファイル」というものがあるが、レポート用紙は袋に入れて管理するのにも都合が良い。B5判というサイズも。

 何だか長くなったが、俺に似て「手書き派」の人には、ノートも良いがレポート用紙も是非試してもらいたいと思う。と言うか、ノンフィクションは基本「手書き」だと思うけど。

[C型肝炎]三国志を読む

2008 年 11 月 29 日 土曜日

 前に書いた通り、俺は今、「歴史を読む」と題して三国志を読んでいる。一見C型肝炎とは関係が無いようなこの話も、「ノンフィクションを書く」という主旨で言えば大きく関わりのある事だと考えるので、カテゴリ「C型肝炎」の中で書いて行こうと思う。

 さて。恥ずかしい話だが、三国志について俺は全くの無知である。いきなり最初から50ページを読んだが、話は劉備という青年を中心に進んでいる。三国志というものも何人かの異なる著者によって書かれているので、当然それぞれに書き方が異なるのであろうが、吉川英治の三国志は劉備を中心に話が展開して行くようだ。

 まあ、話自体はまだまだ序の口。読むのにも時間が要りそうだが、今回この三国志を読み始めてみて思った。結局は歴史というのは「教養」に過ぎない、と。もちろん教養は教養で大切なものなのだが、「現在」というものを知るのにその全てを知る必要はないし、ましてや「研究」などは必要ないのだ、と。「現在」を知るには「現在」そのものを見るべきなのだ。

 「昭和史」はまだ読んでいないが、そういった事が解れば自ずと争点は絞られてくる。軸は常に「現在」に置いてその関係性を読み解けば良い。少しずつ勉強の仕方が明らかになってきた。

 …とまあ、しばらくは本を読む事が中心の学びとなるので、こういった報告が中心となるが、ノンフィクション「C型肝炎」、ライフワークだと思ってやって行きたい。さあ、次は「昭和史」か…(笑)。

[C型肝炎]歴史を読む

2008 年 11 月 24 日 月曜日

 実は正直迷った。ノンフィクション「C型肝炎」を書くに当たって、C型肝炎問題を過去から現代へと続く歴史の中に意味付けてみたいという気持ちはあった。そしてそれでこその「昭和史」だった。しかし本当に昭和史を読む、この事だけで「歴史の中に意味付ける」なんてことが可能なのだろうか。このテーマは俺の生き方ともリンクしてくるものだけに、否が応でも考えざるを得なかった。

 そもそも俺は歴史学がやりたかったのか?書店で歴史学の入門書を見ながら自問した。いや違う、俺は学者になるつもりはない。それでは今の俺には何が必要なのか。問題はすでにC型肝炎を離れ、俺自身の人生の問題へと遷移した。

 そこで辿り着いたのは、「研究」ではなく「教養」として歴史を読む事だった。それも今読もうとしている「昭和史」などではなく、もっと古く昔から読み継がれて来たものを。

 世の中にはタイミングというものがあるのだろうか。つい最近、俺は新装版になったばかりの吉川英治の「三国志」を買ったばかりだった。本当は司馬遷の「史記」などの方が良いのかもしれないが、「教養」という意味では三国志を読む事にも意味があるだろう。そこからまた繋がるものがあるかもしれない。

 何かC型肝炎とは少し離れた話になってしまったが、ノンフィクションを書く、という活動の中でこれらの事は、俺にとって切り離せないものなのでその思いを書いて置く事にした。しかし別にだからどうという事はなく、C型肝炎はC型肝炎でこれまで通り続けて行くつもりだ。半藤一利の昭和史ももちろん読む。ノンフィクションを書く、という企画の意味として、という事である。

 道は長くなりそうだが、お付き合いの程を。