‘ノンフィクションを書く’ カテゴリーのアーカイブ

[取材日誌]NPO法人、阪神淡路大震災1.17希望の灯り(HANDS)を訪ねた

2010 年 3 月 12 日 金曜日

HANDSドア

3月10日、水曜日、天気は、雨。

神戸三宮からさらに地下鉄で数駅、和田岬という駅から歩いて5分、パン屋横の路地を少し入ったところにその事務所はあった。よく目を凝らさないと、うっかり見落としてしまいそうなドアに、阪神淡路大震災1.17希望の灯り事務局、とプリントされた紙が、貼り付けられていた。

行こう行こうと思いながら、時間だけが過ぎ、ようやく重い腰を上げたのはいいが、それでも渋ったのか、現地到着はすでに午後4時半を回っていた。

ドアの向こうの狭い階段を上り、薄暗い2階にある本扉(だった)をノックすると、はあいと言って出てこられたのが、当NPOの元理事長、白木利周さんだった。

「ちょうど帰ろうと思っていた」、そう言って笑う白木さんは、何も言わずにいきなり訪れた俺に、快く話を聞かせてくれた。

…とまあ、日記調に書いていると、何だかとてつもなく長くなりそうなので、やめておく(苦笑)

本当を言うと、この日はあいさつ程度で、時間も遅いのでまた後日、訪れようと思っていたのだが、団体の活動を中心に(俺が訊いた)、懸命に話してくださる白木さんの話に、ついつい俺も質問など投げ掛け、結局一時間以上話し込んでしまった。

こういう場合にノートは取るべきなのかと迷ったが、結局一部を除いては、書くことはしなかった。この点の見極め、対応の仕方などは、これから、自分の方法を見つけて行ければと思っている。

HANDS資料

HANDS本

さて、内容だが、HANDSのことに関しては、ちょっとしたお土産程度に資料(本も)をいただいてきたので、それを読めばいいとして、今回の収穫は、俺が現時点で最も知りたい、震災当日の詳細(天気など)と、テーマに深く関わる「心のケア」に関する情報が、得られそうな場所を紹介していただいたことだ。

阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター

兵庫県こころのケアセンター

それにしても俺、こういう飛び込み取材(?)が好きだなあと思う。前もって、日時や場所を決めて臨む取材より、その日その時の出会いから始まる取材。何とも言えない醍醐味がある。雰囲気も、作りやすいしね。

阪神大震災1.17希望の灯り

HANDSブログ

名刺を交換して、「また来てください」と言ってくださり、俺も「また来ます」と言って別れた。本当に必要ならば、また、訪ねることになるだろう。

HANDSはるかのひまわり

さあ、ようやっと一歩を踏み出した感じだ。ノンフィクションの取材とは、多分、こうした出会いの繰り返しの中から、自分のテーマの「形」も見えてくるものなのだと思った。これからも、決して速くはないが、マイペースで、一方で勉強もしながらも、取材を続けて行きたいと思った。

小説を書くように〜取材の進め方

2010 年 3 月 4 日 木曜日

ノンフィクションを書こうと決め、実際に取材をしようと考えた時、最初、どう動いて良いのか解らなかった。取材といっても、何を調べるのか、取っ掛かりがなかったのだ。

教科書には、とにかく現場に行くこと、と書かれてある。不親切極まりない(苦笑)

ただ、何とか取っ掛かりらしきものを見出した今になって思うと、とにかく現場に行くこと、というのは、実に的を射ていると思えるのだ。
(いや、でも取っ掛かりは必要だろう…)

動けないまま時間が過ぎ、何とか俺が見つけた取っ掛かりとは、「小説」だった。詳しく述べよう。今さらではあるが、俺はノンフィクションの作品を一冊きちんと読み通したことがない。言わば、ノンフィクションの作品の完成形を知らないのだ。言うまでもなく、知らないものはイメージできない。

そんな時考えたのが、「小説」なら解る、ということだった(ダテに小説を書いてない)。書こうとする作品の、完成形がイメージできることは、これは大きなことだった。例えば夢でも、それをイメージすることで、その時にやるべき道筋が見えてくる。それと同じだったのだ。

まるで小説を書くように。俺は、作品の完成形を「小説」でイメージして初めて、時々の取材に、道筋を付けることができたのだ。

以前、取材に取材を重ねて書かれる司馬遼太郎の小説を、ノンフィクションと対比させたことがあったが、俺の作品も、もしかしたら、小説めいたものになるのかもしれない。実際、その方が良いのかも、とも思っている。

まあそれ以前に、ノンフィクション作品をもっと読めという話だけどね…(笑)

震災15年目の神戸の地で、思ったこと、考えたこと

2010 年 1 月 18 日 月曜日

震災15年

15年目の1.17。今回も俺は夕方の黙祷に参加した。さすがに今年は皆早朝に集まって、夕方は数少ないものだと思っていたが、5時46分が近づくにつれ、人が集まる集まる(笑)

実は風邪を引いてしまい、近く小児病棟での取材が控えていることからも長引かせるわけにはいかず、朝の黙祷は遠慮した(言いわけ…笑)。

ボランティアによる”炊き出し”などのテント群は、例年通りに並び、ご苦労なことだと思ったが、テントごとに置かれている「募金箱」を見て、少し複雑な気分になった。

一体だれに寄付するのだろう…。

いや、それはもちろん、ここでボランティアを行っている団体(?)に対してだろう。少し尋ねてみたところでは、毎年のボランティアは、同じメンバーで行われているということだったし(当たり前か)。

どうもここのところが引っかかる。ダテにNPOなんかやっているせいだろうか。寄付イコール収入という現実が頭から離れない。しかしここは、炊き出しをいただいたことで納得。意外と単純なんだ(笑)

ところでこの1.17、震災の日、この東遊園地周辺も、俄ににぎやかになる。普段は目にしない(だろう)露店や路上ライブが、人の集まるこの日を狙って(笑)行われるのだ。先の募金にしても、これらの活動にしても、震災をきっかけに街が活性化する”いいもの”に違いないのだが、解ってはいても、こういう機会にお金が動くというのは、何か哀しい気分がした。

今年はもっと、もっと神戸を訪れないと。率直にそう思った。現地に行って初めて感じる思いがあり、行動がある。「現場100回」は、警察だけのものではない。取材に取材を重ねる、ノンフィクションライターにも十分に当てはまる言葉だ。とにかく現場に行かないと。全てはそこから始まるのだ。

今年は現地で感じることが多かった。スターバックスがコーヒーを配っていたしね(関係ない)。ノンフィクション阪神・淡路大震災、頑張っていきたい。

阪神・淡路大震災、15年目を目前にして

2010 年 1 月 15 日 金曜日

明後日、1月17日、いよいよその日を迎える。阪神・淡路大震災15年目の1月17日。

特別にこの震災に思い入れ(関わり)でもない限り、「あ、もう15年か」、その程度の認識しか持たないのが一般的な人というものだろう。

15年という年月は、長いようでいて、短いようでもあった。阪神・淡路大震災は、ずっと、俺の人生に影を落としてきた。あの震災を境にして、どれだけ俺の人生が変わってしまっただろうか。

しかし、だ。そろそろケリをつけないといけない。いつまでも過去に捕らわれて、前を向いて歩き出せないのは不幸なことだからだ。

でも、だ。同時に俺は見つめ続けなければならない。過去とは言えそれはかけがえのない俺の人生そのものだからだ。

阪神・淡路大震災に対する、こうした俺のこだわりが、ノンフィクションライターとしての俺のテーマになるのは容易なことだった。だから俺は追い続ける、震災の復興と、俺自身の復興を、重ねて見つめながら。

いかんいかん、つい…(汗)

例年の通り、俺は今年も神戸に行く。今年は朝の黙祷にも参加したいので、できれば前日(明日)から神戸入りしたいところだ。

まだ、これから下調べだが、何かを得て帰ってきたいものだと思う。また、レポートする。

ノンフィクションと司馬遼太郎

2009 年 12 月 14 日 月曜日

坂の上の雲

ノンフィクションを書くという時、俺の頭にイメージとしてまず浮かぶのが、司馬遼太郎の文章だ。俺は現在、「坂の上の雲」を読んでいるが、その時代の日本を描くのに、司馬遼太郎は、秋山好古・真之の兄弟と、正岡子規という3人の人物を追うことで、表現しようとしている。

少し話は逸れるが、司馬遼太郎の小説というのは、ものすごい量の資料と取材をもとに書かれている。司馬遼太郎の小説を、「あれは小説なのか」と見る向きもあるが、そんなことからも、司馬遼太郎の小説は、ノンフィクションに近いのではないかと俺は見ている。

さて。ノンフィクションを書く時、司馬遼太郎に倣うなら、「主人公」を立てるのは、一つの書き方ではないかと思った。

これは普段から司馬遼太郎を読んでいる(正確にはその仕事に魅かれている)俺ならではの見解かもしれないが、これから書こうとしている、現在取材中のノンフィクションを考える際、この書き方で書きたいと思うのだ。

司馬遼太郎には、俺自身ブランクがあり、一時期全く読めなかった、否、受け付けなかったのだが、この度、「坂の上の雲」(3度目の挑戦)で読めるようになってから、改めてその仕事を見直すに至った。

司馬遼太郎は、これからも読み続けていくつもりだが(全てを読むつもり)、多少傾倒し過ぎだと言われても、俺がノンフィクションとして書いて行きたいものは、ああいうものだという感覚が確かにある。

司馬遼太郎は、俺のノンフィクションには欠かせない、「お手本」的な存在なのである。

現代の肖像、福田衣里子

2009 年 7 月 6 日 月曜日

[現代の肖像、福田衣里子

今日発売の週刊誌、AERAから。

It’s now or never、今しかない。
最初の著作の題名にも使われたこの言葉を、福田衣里子は、ことあるごとに手帳に書き付けてきたという。

福田がおそらく一番初めにこの思いを抱いたであろう、C型肝炎で死ぬかもしれないと分かった時の気持ち。その思いを俺は、精神病の宣告を受けた時の自分の気持ちと重ねて読んだ。

字数制限のためか、非常にまとまりのない記事だが、ところどころに垣間見える、これまで書かれてこなかったであろうエピソードが、福田衣里子をより身近に感じさせる。

福田衣里子のブログ

是非見てみて欲しい。「筆まめ」ほどではないが、定期的に彼女の思いが綴られている。最近は政治関係での移動が多いらしい。

とにかく、C型肝炎は彼女抜きには語れない、と思う。
著書もいくつかあるので、興味のある人は是非。

うちの子、もしかして、ADHD?

2009 年 6 月 22 日 月曜日

週刊ポスト

今日発売の「週刊ポスト」から。

この記事は、主に子どもの発達障害を対象としたものだが(この記事に限らず、大人の発達障害は、まだまだマイナー)、一通り読めば、発達障害、特にADHDに関して大まかな知識を得られる。

この「週刊ポスト」はこの記事を切り抜くために買ってきて、今目を通したばかりだが、こと子どもに関しては、このように週刊誌に取り上げられる程「認知」が広まってきた。

俺が今までに読んだ、発達障害に関する本は、どれも「大人の発達障害」を対象としたもので、子どもの発達障害、ADHDに関しては、少し知識にズレがあったのだが、俺がこれまでに関わってきた発達障害の子どもたちのことを鑑みて、非常に納得の行くものがあった。

細かい所まで脚注などで説明されているので、子どもの発達障害、とりわけADHDについて関心のある方は是非、読まれてはどうだろうか。
(週刊誌なので、買おうと思われる方は急がないと、来週には次が出てしまう)

まあ、今回はメモ程度。

あ、ノンフィックション「発達障害」、このまま”いちごjam”上でやって行くかも。
もう一つブログを立ち上げるというのは結構手間が掛かるしね(笑)

ノンフィクション「発達障害」スタート、新ブログ「発達障害と私」

2009 年 6 月 9 日 火曜日

新しい企画ブログ「発達障害と私」の立ち上げが決まった。
今思えば、深く関わるべくしてノンフィクションの「テーマ」として位置づけた「発達障害」であった。

今回この「発達障害」を別ブログでやるのには少し理由がある。
この後に示す「発達障害と私」の第一記事でも触れるように、「発達障害」はもはや俺の人生と切っても切り離せないものになりつつある。
そんな人生の「記録」を一つの形として残して置きたい、そう思ったのである。

ブログサービスに@niftyの「ココログ」を選んだのも、ブログを書籍化してくれるサービスがあってのことだ。
後々売り込みを掛けるのにも都合が良い。
(ブログサービスはもしかしたら変えるかも)

タイトルが表す通り、「発達障害と私」の主語は「私」。
少し感じが違うかもしれないが、位置づけとしてはこのブログの言わば「番外編」。
サイドバーにRSSフィードを読み込み、”いちごjam”からも更新情報が解るようにしたいと考えている。

さて。
「発達障害と私」、ブログ自体はまだ作っていないが、その手始めとなる第一記事は既に完成している。
もちろんテーマ「発達障害」は、この”いちごjam”でも大切なコンテンツ。ここでも必要に応じて書いて行くつもりだ。

そこで今回、その記念すべき第一記事をこの”いちごjam”でも紹介することにした。
長くなるが是非、ご一読願いたい。

では。

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ノンフィクション、これからの道筋、そして決意

2009 年 4 月 3 日 金曜日

最近三国志を変えた。

元々「歴史を読む」ということで読み始めた吉川三国志だったが、ついにその吉川英治を見切った。

蒼天航路。
今俺が読んでいる「三国志」だ。
ニセモノを読んでも仕方がないからね(笑)

さて。話は「ノンフィクションを書く」活動についてだ。
俺のメイン。

「歴史を読む」というのは、俺のノンフィクション活動と密接に関わっているのだが、まあそれは追々明らかになってくるだろう。

ここまで活動を進めて来て、一旦これからの道筋を書いて置くのも悪くないと思った。
今日の昼間には神戸に出向いているだろうけど(笑)

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震災を書くに当たって、何故「西宮」なのか

2009 年 3 月 11 日 水曜日

少し行き当たりばったりが過ぎたかもしれない。
そう。何故西宮を書くのか、今の俺は答えを見出せずにいる。

始まりは高校時代のボランティアだった。
その時の「場所」が西宮だったのだ。
阪神・淡路大震災を調べるに当たって、俺はその手がかりを、迷わずその「西宮」に求めた。

今日、先日の図書館で、西宮現代史なる本を見ていて思った。
今、改めて西宮を選ぶ「理由」とは何か、震災を書くのに、どうして「西宮」を選ぶのか、と。

堂々巡りだ。

俺は先に企画書を考えるべきではなかったのか?
今はそう思う。
本を書く以上、その「需要」を考えるのは当たり前のことだ。誰も必要としない本なら、そもそも必要はない。

これまでの「ポポロ」を中心とした活動は、それでも「関係をつくる」という意味で、それなりに意味はあった。
その「関係」を生かすためにも、何とか「西宮」に需要を求めたい。

高校時代のボランティア先、という「個人的」でない需要を。